1994年のオリックス・ブルーウェーブでは、1994年のオリックス・ブルーウェーブの動向をまとめる。
この年のオリックス・ブルーウェーブは、仰木彬監督の1年目のシーズンである。キャッチフレーズは「PLAY HARD! ENJOY BALL GAMES!」。
概要
神戸移転から3年、そろそろ優勝をと意気込むチームは1992年まで近鉄の監督だった仰木彬を新監督に招聘。仰木新監督は就任後、イメージアップを図るべく佐藤和弘の登録名を「パンチ」に、2軍で首位打者を獲得し前年の開幕スタメンだった鈴木一朗の登録名を「イチロー」に変えた。また打撃コーチに南海と近鉄で活躍した新井宏昌を招聘し、投手コーチには球団OBの山田久志を迎えるなど首脳陣を一新。開幕前優勝候補にあげられたチームは4月をまずまずの成績で終えるが、5月以降投手陣の不調もあって西武に6ゲーム差をつけられた。後半戦に入ると西武のもたつきもあり近鉄・ダイエーも巻き込んで、熱パ四強を形成し9月初めには首位を奪うものの5連覇に燃える西武の底力に屈し、仰木監督の1年目は2位で終了した。投手陣では阪神から移籍2年目の野田浩司をはじめ、星野伸之・長谷川滋利・佐藤義則が最後までローテーションを守り、防御率3.93はリーグ2位だったがリリーフ不足に泣いた。打撃陣では登録名変更のイチローが210安打を放ってチームの看板選手となり、本塁打はリーグ最下位ながらも打率が.285でリーグ1位となった。またこの年のシーズンオフの1995年1月に阪神・淡路大震災が発生したが被災した神戸市の惨状をみたナインらが奮起し翌シーズンの快進撃につながることになる。
チーム成績
レギュラーシーズン
個人成績
投手成績
- 色付きは規定投球回数(130イニング)以上の選手
- 太字はリーグ最高
打撃成績
- 色付きは規定打席(403打席)以上の選手
- 太字はリーグ最高
1994 サンヨー オールスターゲーム
- 太字はファン投票で選ばれた選手。取り消し線の選手は出場辞退した選手。
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
ドラフト
出典




