伊佐 為宗(いさ ためむね)は、鎌倉時代初期の御家人。常陸冠者為宗。皇后宮大進。伊佐大進。
生涯
藤原北家の山蔭流で伊達氏の祖とされる常陸入道念西の子。常陸国伊佐郡(現在の茨城県筑西市)を本領とした。
妹の大進局が源頼朝の妾となり、頼朝との間に男子(貞暁)を生んでいる。
文治5年(1189年)、源頼朝が藤原泰衡追討のために行った奥州合戦(奥州征伐)に、弟の殖野為重(次郎為重)、三郎資綱、四郎為家と共に従軍する。8月8日、奥州方の最前線基地である信夫郡の石那坂(現在の福島市飯坂)の城砦を攻略し、佐藤基治など敵18人の首を取り、阿津賀志山の経ヶ岡にその首を梟したという。
この奥州合戦の戦功により、伊佐為宗の一族は頼朝から伊達郡を賜った。為宗は伊佐郡に留ったが、念西と為宗の弟などが伊達郡に下って「伊達」を称し、伊達氏の祖となった。
承久3年(1221年)、承久の乱に従軍した為宗は、宇治川の戦いで戦死した。
系譜
- 父:伊達朝宗(1129-1199)高松院非蔵人・藤原朝宗
- 母:結城氏
- 兄弟姉妹
- 長男:伊佐為宗
- 次男:伊達宗村(1173?-1251?) - 殖野為重、伊達氏2代当主
- 三男:中村資綱
- 四男:伊達為家 - 駿河伊達氏の祖
- 五男:為行
- 六男:田手実綱
- 七男:延厳(僧)
- 八男:朝基
- 九男:寺本為保
- 女子:大進局 - 源頼朝室
- 義兄弟:中村朝定- 中村氏 (下野国)
- 室:不詳
- 男子:為綱
- 女子:北条時盛室
脚注
関連項目
- 伊佐城



