秦野町(はだのまち)は、神奈川県中郡にかつてあった町である。
1955年1月1日に南秦野町、北秦野村、東秦野村と合併し秦野市になった。
歴史
- 1869年 - 竜門寺に修身館開学(現在の秦野市立本町小学校)。
- 1889年4月1日 - 明治22年町村制が施行。曽屋村(十日市場含む)、上大槻村、下大槻村飛地、名古木村飛地を分合し大住郡秦野町となった。
- 1890年 - 曽屋水道竣工、配水開始。(土管による近代上水道)
- 1896年4月1日 - 大住郡と淘綾郡が合併し中郡秦野町となる。
- 1897年1月 - 曽屋に秦野葉煙草専売所設置。
- 1903年 - 煙草専売法公布。
- 1906年 - 二宮駅から初代秦野駅(後の台町駅)を結ぶ湘南馬車鉄道開通。
- 1910年 - 秦野電気合資会社が秦野町と南秦野村に電力供給を開始。
- 1916年 - 電気事業が町営化。
- 1927年 - 南秦野村に小田急電鉄開通。
- 1942年 - 町営電気事業の設備を関東配電株式会社に出資、町営電気事業に終止符。
- 1955年1月1日 - 合併により秦野市となる。同時に中郡から離脱。
歴代首長
この節、「いしずえ」(秦野市史編纂室)および「神奈川県町村合併誌」(神奈川県)を参考にした。
電気事業
1910年(明治43年)1月、東京市の小森徳八らにより秦野電気合資会社が設立され、小田原電気鉄道(後の箱根登山鉄道)から電力の供給を受ける形で電力事業が始まった。1916年(大正5年)6月、経営権の買収により電力事業は町営となった。秦野を通る富士瓦斯紡績会社(後の富士紡)の東京への送電線を利用して受電していた。1942年(昭和17年)11月16日、関東配電株式会社(後の東京電力)から出資設備価格に相当する株式(額面50円の普通株式9269株と16円の現金)が発行され、町営電気事業は終了した。
廃止後
現在の秦野市の地域区分では本町地区と区分される。住所としては「秦野市上大槻」「秦野市曽屋」など大字名が使われるほか、旧曽屋村地域では、住所表示の分割により、「秦野市文京町」「秦野市末広町」などの新地名も用いられる。
脚注
関連項目
- 神奈川県の廃止市町村一覧




