ムーンクラフト株式会社(MOONCRAFT CO., LTD)は、静岡県御殿場市に本社を置くレーシングチーム、レーシングカーコンストラクターである。

概要

1975年にレーシングカーデザイナーの由良拓也が、レーシングカーデザイン会社として設立。国内外様々なレーシングカーのデザイン・製作を手がける。社名の由来は、設立時に「星の名前を社名にしよう」といくつか候補を考えた中で「身近である一方、手が届きそうで届かない」存在として月を選んだことと、「プロダクトデザインではなくクラフトデザイン、量産品ではなく手作りの工芸品に近い物作り」というところから「月(ムーン)+クラフト」になった。ただ実際に会社を経営してみると「月の満ち欠けのように、会社の経営も浮き沈みが激しい」としていろいろ苦労したという。

1977年、富士グランチャンピオンレース (富士GC) 用マシン「紫電77」は、洗練されたデザインによりレース界に衝撃を与えた。同じくGC用として製作したMCS(ムーン・クラフト・スペシャル)カウルは、GCレースが単座席化した1980年代初頭に圧倒的な強さを誇った。

また1983年にデザインした「マツダ・717C」は、1983年のル・マン24時間レースで日本車初のクラス優勝を獲得するなど、数多くの実績を上げている。1985年からは自社のレーシングチームでレースに参戦。全日本F3000、フォーミュラ・ニッポン、JTCCなどに参戦している。

1988年、全日本F3000や富士GCでメインスポンサーだった日本運送(フットワークエキスプレス)が資本参入し、社名を「フットワークフォーミュラ」に変更。鈴木亜久里が同年の全日本F3000チャンピオンを獲得する(マシンはマーチ87・ヤマハ)。また、コンストラクターとしてF1進出を目指し、足掛かりとして「MC030」に始まるオリジナルF3000シャシーを開発。全日本F3000や国際F3000で片山右京やデイモン・ヒルらがドライブした。しかし、フットワークがアロウズを買収してF1に参戦するプランに変更したため、1990年に資本関係を解消。同年3月のテスト中に村松栄紀が事故死し、F3000シャシーの開発も中断した。

1991年、ヤマハが発表したスポーツカー「OX99-11」のボディデザインを担当。2006年には自社製スポーツカー「紫電」を発表し、プロモーションを兼ねて2006年から2012年までSUPER GTのGT300クラスに参戦。2007年にはチームチャンピオンを獲得した。しかし、どちらも市販化計画は実現しなかった。

2018年11月、東レ・カーボンマジックはムーンクラフトの全株式を取得し、子会社化することを発表した。東レ・カーボンマジックが2024年よりFIA-F4選手権に供給している「MCS4-24」では、マシンの空力デザインや風洞実験などの部分に関与している。

製作、設計したレーシングカー

  • 紫電77
  • マツダ・717C
  • MCS
  • MCS・グッピー
  • 日産・スカイライン スーパーシルエット
  • マツダ・737C
  • ローラ・MCS94
  • ムーンクラフト・紫電
  • SGT LOTUS EVORA
  • F4 MC-090
  • MCS50 Carbonara (K4-GP参戦車両)

脚注

外部リンク

  • 公式サイト

Moon Craft Shiden 77 ムーンクラフト 紫電77 Feb4_ Flickr

Mooncraft作品集 MOONCRAFT レースカー, カスタムトラック, スポーツ自転車

ポルシェガレージ ムーンクラフト が空冷ポルシェをレーシングカーに改造?? REVOLTIS

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ムーンクラフト MCSグッピー imp98 Flickr