6代 野村 治三郎(のむら じさぶろう/ちさぶろう、1828年(文政11年11月) - 1900年(明治33年)9月8日)は、幕末から明治時代の政治家。貴族院多額納税者議員。
経歴
のちの青森県上北郡野辺地町の豪商野村家に生まれる。野村家は代々南部藩の御用商人、廻船問屋を務めた家柄で飢饉では救済米を施すなど慈善を行った。1855年(安政2年)の飢饉や1872年(明治5年)の青森大火、三沢でのコレラ流行などの際に慈善を施し、野辺地のみならず周辺町村からも感謝された。また、大坂より自費で御影石を取り寄せ、町内の道路修繕を行った。1876年(明治9年)と1881年(明治14年)の明治天皇巡幸の際には、自邸の庭に行在所を設けた。その功績などを称され明治天皇との拝謁を許されたが、その際には岩倉具視が列席した。ほか、上北郡雲雀牧場頭取、青森県会議員を務めた。
1890年(明治23年)青森県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1897年(明治30年)9月28日まで在任した。
親族
- 孫:8代 野村治三郎(衆議院議員)
- 曾孫:さた (子爵清浦奎吾八男末雄妻)
- 曾孫:てつ (秩父セメント代表取締役諸井恒平長男貫一妻)
脚注
参考文献
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3034963。
- 東奥日報社 編『青森県人名事典』東奥日報社、2002年。ISBN 4885610656。



