詩人の死』(ロシア語: Смерть поэта)は、ロシアの詩人ミハイル・レールモントフが1837年に書いた72行の詩。同国の文豪アレクサンドル・プーシキンの決闘による死に際して、プーシキンをことのほか尊敬していた若きレールモントフが書いたもの。最後の16行で当時のロシアの上流階級を批判しており、このため彼はカフカースへ流刑された。

詩の背景 

1837年1月27日、プーシキンは妻へ執拗に言い寄るジョルジュ・ダンテスを相手に決闘を行い、その時の傷で2日後に亡くなった。これを聞いたミハイル・レールモントフは、この『詩人の死』と題する詩を書いて、当時のロシア皇帝の取り巻きである貴族階級の横暴の犠牲になったことを嘆いた。その後2月7日に、レールモントフはさらに16行をこの詩に追記し、貴族階級をさらに糾弾するように取れる内容を書いた。このため、彼はカフカースへ送られた。ちなみに、レールモントフ自身も4年後の1841年にカフカスで決闘を行い早世している。

詩と日本語訳 

『詩人の死』は、20行、18行、18行、16行に分かれていて、全体で72行ある。いったん最初の56行が書かれた後、最後の16行が追加された。以下に出だしの4行と最後の16行の原詩を、日本語訳と共に記す 。

脚注 


混声合唱曲「一詩人の最後の歌」 / 松下耕 YouTube

ガチョーク賛歌より ある詩人の死/2部 北海道函館市のビデオ撮影・映像制作はメディコム・タカハシ

三人の生者と三人の死者の絵画10点。死が運命を告げる、メメント・モリの一種 メメント・モリ 西洋美術の謎と闇

詩人の死(矢山哲治著) / 書肆 秋櫻舎 / 古本、中古本、古書籍の通販は「日本の古本屋」

詩人の死 窓外の黒化粧